パナマ・シティからTICAバスの夜行に乗り、サンホセへやってきた。
現在、サン・ホセのTICAバスのターミナルは新たな場所に移動しており、注意が必要だ。
バスターミナルは2011年の後半に移動したらしい。
新たな場所は、コカコーラ地区の西側で、正確な場所は忘れてしまったが、Avenue 1と3の間で、Calle 28(たぶん)の辺りだった。
周囲は危険な雰囲気はなく、バスターミナルにはホテルも併設されていた。
今回はおよそ17時間のバス移動となった。
今後は、これほど長いバス移動はおそらくなく、何度も乗ってきた中南米での長時間移動は今回で最後だと思う。
17時間では何も辛さを感じなくなってしまったのだから、慣れというのは怖い。
初のTICAバス。想像より快適だった。
国境付近。およそ3時間も国境越えでかかった。
昼食休憩。
サン・ホセは、中米では1番安全な都市と言われていたらしい。
一方、近年の移民受け入れ政策により、特にニカラグアから大量の移民が入ってきて、治安が急速に悪化しているとも聞いていた。
ただ実際に訪れてみると、バス会社が点在するコカコーラ地区を除いては、ファーストフード店なども多く、治安の悪さは感じない。
町中もこぎれいな印象すらある。
ただ、最大の見どころの国立劇場も想像以上に小さく、観光としては厳しい町にも思えた。
国立劇場。
国立博物館。
カテドラル。
カテドラル内部。
中央公園。
メルセー教会。
メルセー教会内部。
ブラウリオ・カリージョ広場。
中心にあった丸い石。
国会?
これが国会かも。
政庁舎。
町並み。
町並みその2。
町並みその3。
町並みその4。
昼のバイキングがおすすめの皇朝。
サン・ホセでは、ケツァールの情報が得たく、サバナ喜多川という日本人宿に宿泊することにした。
ここは、今まででも屈指の快適な宿だった。
値段こそ、ドミで15ドルと決して安くはないのだが、5ドルで夕食を作ってもらうことができ、これが味も量も5ドルとは思えない質なのである。
さらに、現地の貴重なお酒なども嗜むこともでき、オーナーの荻野さんや長期滞在でボランティアでオーナー代行のようなことをやっている松本さんの人柄もとてもよく居心地が良かった。
ただ、一つ残念だったのが、ベッド数があまりにも少ない(男女合わせて4ベッド)ため、さらに最新版の地球の歩き方にも掲載されているため、常に混んでおり、滞在中も、ベッドのやりくりのため、何度もチェックアウトの日付を確認されることだ。
居心地がよければ、日数を延ばしたりしたいものだが、それが難しいのだ。
結局、宿泊の問い合わせが続々くるため、延泊を申し出にくい雰囲気になり、これは大きなデメリットにも感じた。
サバナ公園。
宿はサバナ公園の北側に位置している。
ここの宿の最大の魅力は夕食。
日本とそん色ない食事が毎日楽しみだ。
シェア飯のレベルではなく、味付けはレストラン並み。
日本風カレーや餃子も食べることができた。
料理のボリュームも満点。
食事のみならず、お酒を振舞ってもらえたりも。
こんなしっかりとした食事を数日続けたのは久しぶりだ。
沈没したくなる気持ちが良くわかる。
野菜を多く取れるのも魅力だ。
旅行中らしからぬ、バランスの取れた食事を堪能できた。
さて、サンホセに住んでいる荻野さんによると、町中でも普通に拳銃も売られているし、麻薬の中継点になってしまっている今、毎日のように殺人事件が起きているらしい。
ただ、夜でも出歩ける雰囲気なので、まだそれほど深刻ではないのかなとも感じたり。
サン・ホセでの滞在中、ケツァール見学意外に、コスタリカでどこかへ行こうか悩んでいた。
コスタリカには、モンテベルデやコルコバードという有名な自然公園があり、また、キャノピーやラフティングなどのアクティビティも有名だ。
どれも魅力的には感じたのだが、一方で、値段が高すぎる。
例えば、ラフティングなど、わずか半日で80ドルもするのである。
これでは、日本と同じ、もしくは日本以上だし、コスタリカでそれほど大金を払うのが馬鹿らしくなってしまった。
日本やアメリカ、ヨーロッパならともかく、中米で半日で80ドルも払う気にはなれない。
さっさと移動することに決めた。