フローレスからシャトルバスに乗り、ティカルにやってきた。
ティカルは、マヤ文明最大の神殿都市らしい。
中米に点在するマヤ文明の遺跡でも、中心的存在の遺跡の一つだ。
以前から、メキシコ・シティのテオティワカン、メリダのチチェン・イツァー、そしてここティカルには是非とも訪れてみたいと考えてきた。
実は、ホンジュラスで訪れた大物遺跡のコパンが想像より、いまいちだったため、少し不安を抱いていたのだが、その不安も一掃された。
さて、マヤ文明というと、有名だし、何となく知ったつもりになっていたが、実は何も知らないので、少しだけ調べてみた。
マヤ文明とは、一つの王国の文明ではなく、グアテマラ高原からユカタン半島にかけて栄えた古代文明の総称らしい。
その中で最大規模を誇るのが、今回訪れたティカルだ。
ティカルは最盛期には6万人もの人口を抱えた大都市だったらしい。
その大都市がなぜ衰退したかは、いまだに定かではないらしいが、王の敬称など内部争いによるものという説が有力らしい。
実際に訪れてみても、ティカルは、想像を遥かに超えて規模が大きかった。
メインとなるピラミッドと、その周辺に点在する大きめの遺跡を巡るだけで4時間近くはかかる。
細かな部分まで見るとなると、丸一日かかりそうである。
これだけ有名な遺跡にも関わらず、アクセスの悪さのためか、さほど観光客が多くないのも良かった。
メインのピラミッド周辺はともかく、少し外れた道を歩くと、辺りに人が全くいなくなる。
次の見どころへ向けて、単独でひたすらジャングルを歩くのである。
これだけ有名で観光客向けの遺跡だから、密林の遺跡なんて大袈裟だろうと思っていたが、本当に密林にそびえる大遺跡だった。
ただ、一つ気になったのが、このティカルが栄えた時代である。
勝手にものすごい古い遺跡だと思い込んでいたのだが、実は、4世紀から9世紀にかけて栄えていたらしい。
となると、日本では、平安京などができているわけで、それに比べると、ただの石の神殿というのは、実はすごくないんじゃないかな…と。
奈良の大仏のほうが断然作るのが大変そうだし。
さらに、東南アジアで見ると、インドネシアのボロブドゥールが、8世紀から9世紀にかけて栄えていたようだ。
あれほどの彫刻などを考えると、やはりティカルは、時代の割にはいまいちかなとも。
まあ、深く考えるのはやめよう。
古代の遺跡と考えれば、大満足の規模の遺跡だし。
ティカル・ビジター・センター。
ティカルの模型。
遺跡入り口へ。
ティカルはかなり広大なエリアに広がっている。
まさしくジャングルという雰囲気の道を進む。
グループFの遺跡。
小さな遺跡がちらほらある。
さらに進むと1号神殿の後姿が見えてきた。
東広場の遺跡。
セントラル・アクロポリス遺跡の一部。
グラン・プラザとノース・アクロポリス。
1号神殿。
2号神殿から見た1号神殿。
ノース・アクロポリス。
2号神殿。ここから見る1号神殿がティカル遺跡のハイライトの一つ。
セントラル・アクロポリス。
セントラル・アクロポリスから見た2号神殿。
セントラル・アクロポリスから見た1号神殿。
セントラル・アクロポリスから見たグラン・プラザ。
セントラル・アクロポリスの奥へと進む。
セントラル・アクロポリスその2。
セントラル・アクロポリスその3。
セントラル・アクロポリスその4。
セントラル・アクロポリスその5。
5号神殿。
7つの神殿の広場。
7つの神殿の広場その2。
7つの神殿の広場その3。
7つの神殿の広場その4。
7つの神殿の広場その5。
7つの神殿の広場その6。
失われた世界方面へ進む。
失われた世界にあったピラミッド。
かつては重要な場所だったらしい。
かなり崩壊している部分も多かった。
見晴らしで有名な4号神殿。
ティカルが一望できる。
密林の中にあることがよくわかる。
ここで一休み。
下から見ても4号神殿の全景を見ることはできない。
彫刻も展示されている。
こうもりの宮殿。
3号神殿も全景は見れない。
廃墟のような遺跡も。
グループGの遺跡。
ここらは人が少なく、すれ違うことがない。
蟻の大群。
6号神殿。
外ではJICAの支援で博物館の建設が行われていた。
今回で、ようやくグアテマラで満足できるものに出会えた気がする。
正直、少数民族の村を訪れても、どこも特徴に乏しく、決しておもしろくもなく、日記でも何を書いていいか思いつかなかった。
タイやミャンマーで訪れた少数民族の村は、相当に雰囲気も良かっただけに、どうしても比較してしまい、残念さが残った。
ここしばらく、日記自体がかなり貧弱内容だったし、それ故にそもそも更新する気すら起きなかったが、最後の最後にグアテマラを訪れて良かったなと思える場所に来ることができて良かった。