自転車を借りて、アンコール遺跡以外のシェムリアップの名所を巡ることにする。
まずは、キリング・フィールドに向かう。
ここシェムリアップでもプノンペンほどの数ではないものの、ポル・ポト時代にクメール・ルージュによる大虐殺が行われていたらしく、その場所がキリング・フィールドと呼ばれている。
カンボジアに来た際には、ぜひとも訪れてみたい場所だった。
本当はプノンペンに行くと、さらに展示なども充実しており、より深く理解できるとのことだが今回は時間の関係でシェムリアップのものを見学をすることになった。
人骨が塔に納められているなど、悲惨さを感じることが出来た。
ここの敷地内には、小学校が作られており、子どもたちが学んでいる。
見学していると、教師の人に突然話しかけられた。
「明日来てぜひ子どもたちに教鞭をとって欲しい」
とのことであり、良い経験かなと思ったのだが、残念ながら明日にはタイに戻る予定であり、またつたない英語で教鞭を取れる自信もない。
丁重にお断りした。
多くの人骨が塔に納められている。
次に、地雷博物館に行ってみることにした。
ここは、アンコール遺跡のゲートを通らなければいけないのだが、遺跡には行かないと伝えれば通してくれる。
地雷博物館は、現在地雷撤去をボランティアで行っているアキー・ラーさんが地雷の悲惨さなどを伝えるために開いているもので、日本でもかなりメディアなどにも取り上げられている場所である。
地雷に関する展示が多くされている他、Tシャツなどの土産物も販売されている。
土産で得た利益は、地雷によって両親を失ったり、体の一部を失ってしまった子どもの養育費に当てられているとのことであり、せっかくなので寄付のつもりで購入してみてもいいかもしれない。
偶然、アキー・ラーさんに会うことができた。
撤去済みの地雷が山のようにある。
郊外では、いまだに地雷注意の看板もあるのだとか。
様々な種類の地雷が展示されている。
一度町中に戻り、戦争博物館へ向かう。
戦争博物館は、戦車や火炎放射器など様々な兵器が無造作に陳列されている博物館である。
受付の子がとても親切だったのが印象に残った。
かつて使用されていた戦車。
説明が気もなく兵器が無造作に置かれている。
ヘリコプターまで展示されていた。
長距離砲?。
マシンガンだろうか。
ライフルなども置かれている。
地雷の展示もあった。
地雷注意の看板。
地雷注意の看板。錆びて読めなくなってしまっている。
オールド・マーケットにも行ってみることにする。
食料品から衣料品、土産物など何でも売っている市場で市民の生活を垣間見ることが出来た。
この帰り道、前のおばちゃんについて自転車をこいでいるとなぜか警官に止められる。
どうやら一方通行無視らしい。
カンボジアでは、自転車も一方通行があるようだ。
そんなの知らん…。
US5$の罰金を払わせられた。
が、これは本当だったのか未だに疑問である。
ただのインチキ警官だったような気もしないでもない。
活気溢れるオールド・マーケット。
食料品だけでなく、衣料品や土産物も売っている。
ゲストハウスに戻り、ジャスミン・ゲストハウス主催のトンレサップ湖サンセット・ツアーに参加することにする。
バイタクをチャーターしていくこともできるのだが、途中の検問所で高い料金を払う必要があるらしく、ツアー参加が無難らしい。
トンレサップ湖は、雨季と乾季で面積が大きく変化するらしいのだが、現在は雨季であり、まるで海のような広大な面積を誇っている。
ボートに乗って移動しながら、多くの水上家屋を見ることができた。
また、子どもが洗面器に乗って、湖上を移動しているなど微笑ましい風景を見ることができた。
トンレサップ湖の水上家屋。
ボートは生活の必需品。
少し水位が上昇したら、冠水してしまいそうな家も。
素朴な生活が営まれている。
子どもでも、ボート扱いはかなり上手。
ボートも遊び場らしい。
発泡スチロールを船代わりに進む子ども。
プラスチック容器(洗面器?)を船代わりにしている子どもまでいた。
夕日に映える子どもたち。
曇りがちの天気だったが、きれいな夕日を見ることができた。
ゲストハウスに戻ると、キムさんが
「カンボジア最終日にもう一度カンボジア鍋を食べに行こう」
と誘ってきた。
とてもおいしかった鍋なので、ぜひとももう一度食べたく行くことにする。
キムさんとは、見学中に料金の折り合いがつかず少しギクシャクしてしまったが、決して悪い人ではなかった。
アンコール・ビールを飲んで、バイヨン・ビールも飲んで、鍋を食ってとカンボジア最終日を満喫することが出来た。
鍋を楽しむバイタク・ドライバーたち。
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