ニューデリー駅からアーグラー・カント駅まで列車でやってきた。
結局、予定よりも2時間近く遅れての到着となった。
インドの列車では遅れることが当たり前と言うから、こんなものなのだろう。
アーグラーでは祭りに遭遇。
太鼓を鳴らし、町を歩く。
子どもたちが山車のようなものを作っていた。
祭りに参加していた子ども。
祭りに参加していた子どもその2。
祭りに参加していた子どもその3。
祭りに参加していた子どもその4。
祭りに参加していた子どもその5。
祭りに参加していた子どもその6。
アーグラーの夜景。
リキシャーで、タージ・マハル周辺まで移動し、あらかじめ泊まろうと決めていたシャンティ・ロッジにチェックインをする。
ここは、屋上からのタージ・マハルの眺めで有名なホテルだ。
ホテル自体は、決して汚くはないのだが、電気が異常に暗く、さほど快適ではなかったが、なるほど屋上からの眺めは絶景であった。
シャンティ・ロッジから見たタージ・マハル。
シャンティ・ロッジから見たタージ・マハルその2。
シャンティ・ロッジから見たタージ・マハル(夕暮れ)。
シャンティ・ロッジから見たタージ・マハル(夕暮れ)その2。
シャンティ・ロッジから見たタージ・マハル(日没後)。
チェックインをした後、さっそくタージ・マハルを見に行くことにする。
タージ・マハルとは、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、王妃ムムターズ・マハルのために22年の歳月をかけて建造させたといわれている白大理石の墓のことである。
ペルシャやアラブ、果てはヨーロッパから2万人もの職人を集め、莫大な資産をつぎ込み、建設を行ったらしい。
晩年のシャー・ジャハーンは、息子によって幽閉されてしまい実現はならなかったが、自らの墓として、川の対岸に黒い大理石で黒タージを作り、大理石の橋をも建造し、二つのタージを結ぼうという計画もあったのだとか。
タージ・マハルだが、なんと入場料が日本円にしておよそ2000円というインドとしては破格の金額が必要だ。
これは外国人料金なのだが、外国人料金がインド人と比べて10倍以上の値段なのには驚いた。
発展途上国に行くと、外国人料金と言うものがしばしば存在する。
多少の金額の差であれば、良いと思うのだが、現地人との料金差が10倍以上となると、いまいち腑に落ちない。
と言っても、旅行者は絶対に訪れるわけで、足元見ている感がひどい。
日本も、外国人料金を作ってしまえば良いのに…。
入場料はさておき、厳格なセキュリティ検査を通過し、いよいよタージ・マハルとのご対面である。
さすがに美しく、左右対称のかたちがすばらしい。
世界で最も有名な遺跡のひとつというのも十分に納得できる素晴らしい廟であった。
タージマハルの門。
門もまた美しい。
世界でも有数の人気遺跡のタージ・マハル。
完璧に左右対称だ。鳥が邪魔…。
タージ・マハル。
タージ・マハルその2。
タージ・マハルその3。
タージ・マハルその4。
タージ・マハルその5。
タージ・マハルの見学を終えて、アーグラー城を見に行くことにする。
ここもタージ・マハルと同じく、世界遺産にも登録されている。
タージ・マハルから、アーグラー城へは歩いて向かったのだが、歩いている間中、リキシャーの客引きがついてくる。
タージ・マハルからアーグラー城までは、1キロ程度あるのだが、けっきょくずっとついてきていた。
東南アジアでも客引きは多く、いつもならそれすら楽しめていたのだけれど、なぜかインドでは楽しむことができず、ただただかったるい。
インドを訪れた人は、
①インドは最高だった。ぜひ、もう一度行きたい。
と言う人と、
②インドはもう二度と行かない。
と言う人にはっきりと分かれるというが、今のところ後者になってしまいそうだ…。
アーグラー城は予想以上に規模も大きく、素晴らしかったのだが、観光以外の場所で精神的に疲れてしまったためか、何を見てもあまりテンションが上がらない。
アーグラー城。
場内への通用門。
城壁内はかなり広い。
城壁内の様子。
城壁内の様子その2。
城壁内の様子その3。
城壁内の様子その4。
城壁内の様子その5。
城壁内の様子その6。
城壁内の様子その7。
城壁内の様子その8。
アーグラー城からみたタージ・マハル。
アーグラー城からみたタージ・マハルその2。
コメント